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2019_1116_154913 地下から現れる

写真: 2019_1116_154913 地下から現れる

写真: 2019_1206_152944 観察 写真: 2019_1116_154606 地下に潜る

「鴨東線」として1989年に開通した三条〜出町柳間にも苦難の歴史があります。
こちらは出町柳〜八瀬・鞍馬を結んでいる叡山電鉄の計画から始まっています。
現在の叡山電鉄は大正14年、京都電燈(今の関西電力の前身のひとつ)が開業しました。
当時は電力消費者といっても零細な工場や家庭用の電灯だけで、安定した消費者が少なかったので
電力会社自ら安定した電力の消費者として電気鉄道を経営することが珍しくありませんでした。
この電車は市電の今出川線が開業することを見込んで、京都の北の玄関口、出町柳の河合橋の袂を起点に北に向けて開業しました。ところが市電の今出川線が開業してみると、今出川線は河合橋の200メートルほど南の加茂大橋を渡ることになったのです。今出川通の改良・直線化が予想以上にうまく進んだ結果です。↓
http://photozou.jp/photo/show/251552/263131132
加茂大橋から出町橋(左)と河合橋(右)を見たところです。
市電の電停は加茂大橋の袂に設けられ、乗り換えにはちょっと不便な立地になってしまいました。
元々山間に入っていく電車で沿線人口は多くなく、観光客に利用してもらわないと経営が苦しい電車ですので、大阪からの直通客を呼び込もうとすれば出町柳〜三条間の延長を考えるのは自明です。鴨川の堤防上に線路を敷設する免許をとり、着々と建設準備を進めている最中にこちらも室戸台風と京都大水害に襲われてしまいます。集めた建設資材は殆どが災害復旧に転用されてしまい建設工事は当面延期となり、その後の恐慌、戦争で計画は半ば立ち消えとなってしまいました。
戦争中にはそれまで各地にたくさんあった中小電力会社が合理化のため国家主導で再編され京都電燈も関西配電(今の関電)に統合され、鉄道部門は京福電鉄(今の嵐電と叡電、越前鉄道)として分離されました。
戦後は、電力会社という大きな後ろ盾を失い、延長計画を復活させる余力もないまま昭和40年代になって市電も廃止され、出町柳はバスしか通らない陸の孤島状態になってしまい、経営的にも窮地に陥り、京阪電車の支援が入ります。京福電鉄のうち叡山本線、鞍馬線が分離独立して叡山電鉄となって京阪電車の子会社となりました。京阪電車も自社の沿線の宅地開発がほぼ飽和状態になり、沿線外の宅地開発をいろいろ構想していました。その一つとして琵琶湖の堅田近辺の開発があり、
三条から出町柳まで延長し、叡山電鉄に乗り入れて八瀬から比叡山の直下をトンネルで抜けて琵琶湖に抜けるという構想でした。実際、琵琶湖ローズタウンという宅地開発も行われましたが、そのアクセスは京阪電車の路線構想より先に実現したJRの湖西線上に京阪電車が出資して小野駅を設けることで代替えされています。琵琶湖直結の構想は中断したものの、地下で三条〜出町柳を延長する構想はそのまま昭和61年に実現しました。
これで長年の懸案だった大阪からの直通客が叡電を利用するようになり、観光客の他、叡電の沿線の大学や高校も京阪沿線からの通学が容易になって叡電はようやく息を吹き返しました。
その後は京都を訪れる観光客が爆発的に増え、叡山電車も中小私鉄ながら「きらら」「ひえい」など賞をもらうほどユニークな観光電車を導入したりと積極策も功を奏してシーズンの叡山電車は積み残しが出るほどの盛況になっています。

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コメント (6)

  • nophoto_70_mypic.gif

    50年近く前に北山を彷徨ってたので、京阪三条から、バス停のある出町柳まで歩いていたです。

    2019年12月14日 13:09 退会ユーザー

  • kame

    興味深く読まさせていただきました。河合橋のとこの叡電・出町柳駅と市バスの今出川通りとの微妙なずれが気になっていたので そうやったんや〜と納得しました。

    2019年12月14日 16:57 kame (12)

  • キューチャン

    中古のふさん
    ☆とコメントありがとうございます。
    バスで行こうとすると河原町通を北上する59番に乗るくらいしか行けなかったですね。私も浪人中に二条城の隣の予備校に通っていて丸太町まではよく歩きました。
    三条京阪の向かいの堤防の上に自転車置いてる友達も結構いましたね〜。

    2019年12月14日 22:35 キューチャン (36)

  • キューチャン

    kameさん
    ☆とコメントありがとうございます。
    京阪ははじめ叡山電車に乗り入れることを考えていたようですが、大型の電車を8両編成にしてもまだ足りないかも知れないという本線と(実際、出町柳駅のホームの南側の出口は通路のようになっていますが、実は通路の両側のパネルを取り払えばホームになっていてすぐにでも10両編成に対応できます。)、最大でも2両編成の小型電車の叡山電車の乗り入れは落差が大きすぎで保留になったようです。
    そのかわり叡電の改札の真ん前まで地下通路を作って乗り換えは極力スムーズにしていますね。
    ですが、京阪の出町柳駅のホームの北端の行き止まり側は行き止まりなのに
    http://photozou.jp/photo/show/251552/264078133
    こんな感じで幅を絞った中間駅の形にしてあり、この先もトンネルで川端通の地下を進めるように考えてあり完全に諦めたわけではないようです。

    2019年12月14日 22:52 キューチャン (36)

  • キューチャン

    みなみたっちさん
    ☆ありがとうございます。

    2019年12月15日 19:43 キューチャン (36)

  • キューチャン

    TAKESHIさん
    ☆ありがとうございます。

    2019年12月16日 20:48 キューチャン (36)

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