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18.03.27.総寧寺(市川市)山門?

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Photos: 18.03.27.総寧寺(市川市)山門?

Photos: 総寧寺(市川市) Photos: 国府台天満宮(市川市)国府台城郭

総寧寺(市川市)
18.03.27.
安国山 總寧寺
宗派、曹洞宗(関三刹(かんさんさつ)のひとつ)
本尊、?
開基、佐々木氏頼(六角氏頼)
開山、通幻寂霊
創建、永徳3(1383)年

(wiki)永徳3年(1383年)、近江守護の佐々木氏頼(六角氏頼)が通幻寂霊を招聘して、同国坂田郡寺倉(現・米原市寺倉)に總寧寺として建立した。
享禄3年(1530年)、戦乱によって總寧寺が焼失。8世住持越翁宗超は、遠江国掛川に退避して同地に常安寺として再建した。この常安寺は永禄年間に戦乱によって焼失。住持らは常陸国に落ち延びた。
天正3年(1575年)、常安寺は北条氏政によって関宿宇和田(現在の埼玉県幸手市)に移転。これは常安寺再建を図る11世住持義翁盛訓の嘆願と関宿城の簗田氏に対する氏政の牽制策の合致によるとされている。その後、総寧寺の旧称に復す(時期は不詳)。北条氏からは20貫、同氏滅亡後の新領主・徳川氏からは改めて20石が与えられた。
元和3年(1617年)、徳川秀忠によって関宿内町(現在の千葉県野田市)に移転。寛文3年(1663年)、徳川家綱によって現在地(国府台城跡地)に移転。これは江戸川の洪水を避けるためという。2年後に寺領として128石5斗を与えられ、曹洞宗関東僧録司となった。
寺は嘉永3年頃(1850年)焼失し、文久2年(1862年)再興された。明治維新後、寺領が新政府により上知されている。(←)

※関三刹――
(wiki)江戸時代、徳川幕府の宗教政策の一環として主に地方の農村や武士階級に影響力を持つ曹洞宗に対し、1612年(慶長17年)、上記の3箇寺に関東僧録司として宗派統制の権限を与え、住職も幕府の任命制にして、統制を図った。また、永平寺の住職を上記の寺院の住職経験者から選出させる事とした。
また、関三刹の末寺に当たる江戸三箇寺と合わせて、「関府六箇寺」と呼ばれた。その他、静岡県袋井市にある万松山可睡斎も、徳川家康との密接な関係により、「東海大僧録」として三河国・遠江国・駿河国・伊豆国の曹洞宗寺院を支配下に収め、関三刹と同等の権威を持つに至った。
その結果、上記の3箇寺は全国を三分して管掌し、また月番交代で宗務を執行するようになり、全国各地に録所を置いて地域の宗政を掌握し、曹洞宗内において絶大な権力を持つようになったが、明治維新を過ぎると、その職務内容は宗務庁に引き継がれた。

超参考「パソ兄さん」様→ http://www.pasonisan.com/review/0_trip_dell/11_0221houjo.html

千葉巡回マップ→ https://drive.google.com/open?id=14zVB7XrB0PEC_mRyP1GxYJ_VHRU&usp=sharing

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